本文へ進む
DR.iSHiGURO

CHiMYAKU 探究の記録

AI時代の集合知はどう育ち何を豊かにするか?

山から海へ続く流域を、人と白いロボットがノートを開きながら眺めている。山側には雨雲がかかる水彩の概念画(AI生成)
知が集まり、人と土地へ還る。
知識状態
設計
公開日
最終更新

知は、集まったあと、どこへ向かうのだろう。

「知脈」は、僕が身体や土地、AI(人工知能)をめぐる探究を綴っている場所だ。

その入口をどう作るか考えていたとき、さまざまな場所から届く知を、一つの海へ集まる流れに重ねてみた。海からは雲が生まれ、雨になって、また土地を潤す。集まった知も、人やAIに運ばれて、別の場所へ届いていく。

ああ、結局はこれなのだと思った。

しなやかに、めぐること。

僕が健康を定義するときに使っている言葉だ。身体と土地に向けてきたこの言葉を、今度は知のあり方に重ねてみたい。

知脈を読んだ誰かの見方が変わる。その人が、自分の暮らす場所を、少し違う目で見る。そこで生まれた観察や問いを、僕や読者が受け取り、AIと一緒に考える。AIが差し出した別の見方に、今度は人が問いを返す。その往復が、次の誰かの手がかりになる。

僕は、そうやって育つ集合知を思い描いている。

古い知と、新しい問い

古代知も現代知も、めぐっている。僕にはそう見える。

先人が土地の手入れのなかで受け渡してきた知恵がある。現代の観察や測定によって、見えるようになったものもある。その二つが出会うと、古い言葉の意味が変わったり、新しい技術の使い方が変わったりする。

その往復を、僕は有機土木に見ている。土の中の水と空気の通り道を整え、生きものとともに自然環境を育てていく土木だ。

有機土木を提唱しているのは、高田宏臣さんだ。ウェブマガジン「greenz.jp」に載った、やなぎさわまどかさんによる取材記事 ↗で、高田さんは先人の手入れのあり方を語っている。環境の移り変わりを生かして、土地を少しずつ整えていく。その視点と技術を、いま見直したいという。木や落ち葉が朽ち、根が伸びていく時間まで、手入れのうちに数える。僕はそう受け取った。

現代の土木を通ってきた目で、伝統の土木を見直す。そこにある知を、いまの技術や問いと出会わせる。僕が惹かれるのは、この融合と共存だ。古い知にも新しい知にも、いま目の前にある土地の状態を返していく。どこで役に立ち、どこで考え直す必要があるのか。それを確かめ直す。

小川の水の曲がり方を示す年長者の手と、葉や流れをノートへ描き留める人の手。苔むした石のあいだを水が流れる水彩の概念画(AI生成)
受け継いだ知恵を、目の前の土地で確かめる。

石を配したあとに、水が流れ、根が伸びていく。その時間を見つめたいという思いは、「地球のストレッチ」にも書いた。

医学も、同じようにめぐっていると思う。身体をどう見るか。人が生きる場所を、どこまで一緒に考えるか。新しい知に触れたあとで、長く受け渡されてきた問いを、もう一度読み直したくなる。

そのたびに、持っている知と、見えている景色の両方が変わる。同じ問いに還ってきても、そこから見えるものは、前と同じとは限らない。

ともに考える力が育つ

「集合知」と聞くと、大勢に聞いて答えをまとめることを思い浮かべるかもしれない。

たとえば、一人ずつ出した予測を集める。誰か一人の予測より、集約した予測のほうがよく当たることがある。これは群衆の知恵、英語で Wisdom of Crowds と呼ばれる現象だ。50分野・1,000問を使った実験 ↗でも、集めた予測が、多くの人の予測を上回る結果が確かめられている。一方で、先にほかの人の答えを見せる条件では、集団の成績が下がることもあった。

僕が知脈で考えたい集合知は、それより少し広い。

一人が疑問を持つ。別の人が、自分の知っている事例を持ち寄る。AIも、異なる分野の知を結びつけ、別の見方を差し出す。食い違いが見つかったら、引用のもとになった論文や資料、つまり原典に戻って読み直す。確かめてみると、問いそのものが変わる。こうして、ともに考え、行動し、学び直す力が育っていく。

集合知は、英語では Collective Intelligence という。集団の知的な働きを広く捉える言葉で、その範囲には幅がある。米国マサチューセッツ工科大学の集合知研究センター ↗は、人々がともに知的に行動することを研究している。人とコンピューターの組み合わせも、その対象だ。

僕はそこに、行き先を置きたい。

人と土地を豊かにすること。

暮らしや仕事で、自分で考え、選び、動けること。身近な土地の変化に気づき、関わり方を考えられること。僕は、そういう豊かさへ知をつなげたい。

人とAIで、探し直す

AIがこの輪に加わると、何が起こるのだろう。

一つの手がかりが、人とAIで単語を探す研究 ↗にある。2026年7月に改訂された、公開原稿の第3版だ。

参加者は、隠された単語を推測する。答えの単語と意味がどれだけ近いかで、得点がつく。前の参加者が見つけた最良の推測を、次の参加者への手がかりにする実験だ。

各回の最高得点を平均して比べると、人とAIが混ざった集団の成績が高かった。人だけの集団も、AIだけの集団も上回った。人の推測を受け取ったAIは、探す単語の幅が広がり、成績も上がった。

僕が面白いと思うのは、人がAIへ渡したものによって、AIの探し方が変わるところだ。その出力が、また次の人の手がかりになる。渡す。受け取る。探し直す。この往復を、僕自身も育てていきたい。

ただし、この実験で、人間一人ひとりの成績が上がったと確かめられたわけではない。終盤には、人だけの集団が追いついた。混ざった集団の単語の多様さも、人だけとAIだけの中間だった。単語探しの結果を、医療や土地の課題へ、そのまま広げることはできない。

ここから僕が考えたいのは、人とAIが、互いの働きをどう高めていけるかということだ。人が経験や問いを渡し、AIも知や問いを返す。受け取ったものを手がかりに、双方が次の見方を探す。

何を大切にするか。その知をどう使い、どこに手を入れるか。その判断は、人が引き受ける。AIには、人とともに考えながら、見落としていたつながりを示し、選べる道を増やしてほしい。僕は、人の考える力が育つ関わり方をつくりたい。

庭に面した縁側で、90歳の石黒伸を想像して描いた左の人物がシダの葉を指し、若い人と白いロボットがそれぞれ開いた本と見比べている水彩の概念画(AI生成)
(90歳の僕が、若者とAIにレクチャーしている風景)

異なる源流を残す

一方で、めぐる知が、いつも豊かになるとは限らない。

8文の短い物語を書く実験 ↗では、AIから着想を得られる条件で、作品の創造性などの評価が高くなった。ただ、できあがった作品同士は、内容がより似ていた。一篇ずつのよさと、集まったときの多様さは、別々に見る必要がある。

AIを何種類も並べれば安心、というわけでもない。文章を扱うAIを350種類以上調べた研究 ↗は、開発元が異なるAIでも、誤りが重なることを示している。三つのAIが同じことを言っていても、根拠が三つあるとは限らない。

だから僕は、知脈に流れ込んだ知の源を、辿れるようにしておきたい。

高田さんが語ったこと。論文の中で確かめられたこと。僕が身体と土地を行き来して考えたこと。これから読者が、自分の場所で気づいていくこと。それぞれに、出てきた場所がある。

合流しても、誰の知かを残す。

岩場、草地、シダの森から来た三つの流れが、透明な水面へ合流している。上流の道筋がそれぞれ見える水彩の概念画(AI生成)
それぞれの源流を、辿れるように。

意見が食い違ったら、その違いの手前まで戻ってみる。見ていた場所が違ったのか。調べた条件が違ったのか。大切にしていたものが違ったのか。まだ答えの出ない問いにも、置き場所を残しておく。

AI自身にも、元の論文や資料を直接読んで、根拠を確かめてほしい。どの条件で調べ、どこまで確かめられた話なのか。読めなかった資料があれば、そのことも伝える。人も原典を読み、AIの読み取りと照らし合わせる。さらに、現場で見えることと比べて、もう一度考える。

その分野に詳しい人や、現場で経験を重ねてきた人の見方も聞きたい。何を見て、そう考えるようになったのか。どんな条件で成り立ち、どこで考え直したのか。自分では気づけない前提まで、教わりたい。その話を手がかりに、原典や現場をもう一度見る。

土の中にも、大小の隙間があって、水や空気の通り方はひとつではない。そこに生きものがどう関わるか。場所ごとの湿り気の違いや、雨と乾きに伴う移り変わりをどう見るか。「土中環境」の記事で考えてきたのは、そういうことだ。もちろん、土の仕組みと知のやり取りは別のものだ。それでも、違うものが働ける余地をどう残すか。その問いが、僕の中では一本につながっている。

使った知が、問いに還る

知が人や土地へ届くとは、どういうことだろう。

たとえば、こんな場面を思い描いている。土中環境の記事を読んだ人が、雨上がりの庭に出る。いつもなら通り過ぎる水たまりの前で、少し立ち止まる。落ち葉のある場所と、むき出しの土とで、水の残り方はどう違うのか。明日には、どうなっているのか。

その人が見つけたことは、記事に書いてあるとおりかもしれないし、違うかもしれない。「うちでは、こう見えた」という観察が、土地の条件と一緒に僕へ届く。僕は、AIや同じ問いを持つ読者と、その違いを考える。土が違うのか。雨の降り方か。記事の説明が足りなかったのか。

まだ、ここにはない場面だ。これから、僕が育てていきたい。

雨上がりの庭でノートを持ってしゃがむ人。手前の水たまりには空が映り、落ち葉と露出した土の境に小さな芽が伸びている水彩の概念画(AI生成)
雨上がりに、問いが芽生える。

食い違いが見つかったら、原典を読み直す。説明の足りないところを補う。間違っていたら、何をどう直したかを残す。見直したことを、また記事や対話で次の人へ渡す。その人が確かめた結果から、さらに問いが生まれる。

訂正も、知のめぐりの一部だ。

「流域医療」は、人の身体と土地を、詰まりとめぐりという同じ目で見るために、僕が組み立ててきた見方だ。そこでは、届く道だけでなく、還る道も考えた。知にも、還る道を育てたい。受け取った人の観察が、次に届ける言葉を変えていく道だ。

知を受け取った人が、次の知を育てる人になる。

うまくいったことも、思うようにいかなかったことも、ともに考える人とAIへ還していく。それを受け取り、考え直せるようになる。僕が集合知の成長と呼びたいのは、この変化だ。

海から、雨へ

知脈は、僕自身のデスクでもある。ここで僕は、自分が何を見て、どう考え、何をしようとしているのかを書く。そこには、先人の知も、研究者の発見も、まだ答えの出ていない問いも流れ込んでくる。流れ込んで、一つの海になる。

その海から、人やAIが知を運び出す。

AIが誰かの問いに答えるとき、知脈の一節を、著者や根拠への道と一緒に渡してくれたらいい。読んだ人が、自分の暮らしに引き寄せて考える。その先で、庭の見方や、仕事で交わす言葉が少し変わる。そういう広がりを、僕は望んでいる。

そして、届いた先から、僕の知らなかった観察や問いが還ってくる。僕も、読者も、AIも、それを手がかりに考え直す。次に誰かへ渡す知は、少し変わっている。

海から雲が生まれ、雨が降る。その雨が触れる土地は、一つひとつ違う。知もまた、届いた場所で、新しい意味を持つのだと思う。

ここに引いた研究は、どれもこの循環の一部を照らしたもので、全体を確かめたものではない。書いたのは、僕がこれから育てたい集合知の姿だ。古代知と現代知、人とAI、身体と土地を行き来しながら、その姿を考えている。まだ、設計の段階にある。

しなやかに、めぐること。

知が届いたその場所で、次はどんな問いが芽生えるだろう。

根拠